校長 石 田  正 人

ありがとうございました。

 ありがとうございました。本当にありがとうございました。と言う気持ちになりました。普段、そんな気持ちになったことがない、という訳ではありません。しかし、ありがとうございましたという気持ちを、当日来校してくださった人皆さんに、会場をあとに帰られる皆さんにお一人お一人に、伝えたい、そんな気持ちになりました。
 昨年の暮れ12月21日の土曜日のことでした。本校の体育館で、午後2時から吹奏楽部と郷土芸能部(和太鼓)の第15回演奏会を開催しました。
 果たして、その日の朝は氷点下に近い寒い日でしたが、保護者の方や、地域の方や、旧教職員の方や、本校を応援してくださる学校評議員の方や多くの人たちが250人も来てくださいました。
 私たちの学校は、農業高校ですからいつもは作物や野菜を作ったり、花や果物も育てています。また、どんなに忙しくても、牛や子豚や鶏たちの世話は欠かせません。さっきまで、測量をしていたり、パンやケーキ作りで手が小麦粉で真っ白だった生徒も、その手を楽器やばちに持ち替えて曲を奏でます。
 私は、このように、手作りのお菓子や料理で、季節の花が咲き誇る庭で、ごちそうをするように音楽を楽しんでもらう、そのような雰囲気の本校の演奏会がとても気に入っています。
 本格的なホールのような豪華さは無いかもしれません。しかし、この日本のどこかに、こんな手作り満載の、家族が集うような高校の演奏会がたった一つくらいあってもいいのではないかと思っています。
 それでも、当日の吹奏楽部の演奏は、夏に(平成26年8月)、岡山県高等学校吹奏楽コンクールで銀賞に輝いた「民衆を導く自由の女神」を筆頭に素晴らしい演奏でした。最上太鼓は、同じく平成26年度、岡山文化連盟からいただいた第4回あっ晴れ!おかやま「地域文化奨励賞」にふさわしい堂々たる演奏でした。
 演奏会が終わって、お客様がお帰りの際、近所のお一人の方がおっしゃっておられました。
 「これで良い年が迎えられそう。」そう言っていただいて、私も思わず「あぁ、そうなると良いですね。」と言いました。いつか「高松農業高校の定期演奏会」も、日本の年末の風物詩として定着している「第九」のようになればいいと思いました。
 改めて、この度、大変お忙しい中、多くの方々に御来場いただきましたことを心よりお礼申し上げます。また、この演奏会の開催に対しまして地域の方々から格別な御支援をいただきましたことに、紙面を借りてですが厚く御礼を申し上げます。
 皆さん本当にありがとうございました。
 平成27年の12月の開催日程は現時点では未定ですが、近くになったら何らかのアナウンスをいたします。また、ご遠慮なくお問い合わせください。そして、ぜひ聴きに来てください。心からお待ちしています。


羽ばたけ!たかのう!


 今年は未年。ひ・つ・じの最初の一文字をとって、新年のスタートを切りたい。
例えば、
ひ・・・ひとり一人が
つ・・・つばさ広げて
じ・・・自由な空に
羽ばたけ!○○。
○○には、あなたの好きな言葉を。今年、本校は創立117年目を迎える。
手元に、16年前の新聞の切り抜きがある。「立志の春」と題したその記事は元岡山県教育長で当時県立博物館長だった宮地暢夫先生が「余白の森」という欄に寄稿されたものだ。
宮地先生はその記事の中で、頼山陽が詠じた「述懐」という立志として有名な詩を紹介されている。十有三春秋(じゅうゆさんしゅんじゅう)、逝く者ハスデニ水ノ如し(ゆくものはすでにみずのごとし)。天地始終ナク(てんちしじゅうなく)、人生生死アリ(じんせいしょうじあり)。イズクニカ古人ニ類シテ千載青史ニ列スルヲ得ン(いずくにかこじんにるいしてせんざいせいしにれっするをえん)、と。先生はその詩の前に、「かつて年齢を数え年で唱えたころは、年が改まるとみな一斉に年を取った。人々はこれを人生の節目とし、将来へ向けての願望や抱負を一年の計、生涯の志として心に誓った。自らの大成、一家の繁栄と合わせて、世のため人のためという思いもこめたものであった。このような意味での志を今の若い人たちに取り戻してもらいたい。新年は、青少年の皆さんが、この壮大な気宇で未来へ思いはせる時であってほしい。」という思いを述べている。
この詩は頼山陽が数え年十四歳の時、今で言えば中学2年生の時に作ったものだそうだ。東日本大震災の年に、中学2年生だった生徒が今年高校3年生になる。あれから早や3年
と10ヶ月。私たちも負けてはいられない。東北地方の方々にとっても、地域の皆様にとっても、高松農業高校にとっても良い年になりますように!願わずにはいられません。


映画「三本木農業高校、馬術部」を観ました。 

 
 今日は全校生徒と一緒に映画を観た。舞台は青森の十和田市に実在する有名な農業高校だ。最初のシーンは冬の場面だったように思う。今日の岡山市の最高気温は7℃、平年よりマイナス2度と天気予報が教えてくれていた。そんな中で、私たちは、標題の映画を約2時間見た。体育館の中は4台の大型ストーブが四方から私たちを暖めてくれた。
 菊池香苗なる主人公が、園芸科というクラス表示が、生徒らにもそうだったろうが私たちに親近感を持たせてくれた。続いて馬術部のシーン。本校には今は馬術部はないが、創立当初は馬を飼育していたと記録が残っている。また、農耕馬として馬を飼っていた地域の人が時々診療に訪れていたということもあったらしい。本校にはその頃、獣医科があったからだ。舞台の三本木農業高校も青森県農学校として創立時は農学科と獣医科だったという。しかも、創立が明治31年ということで、本校と1つ違いのお兄さんだ。
 さて、映画に話をもどそう。ご覧になった方も多いだろうから、不確かな記憶を披露することは避けるが、厩舎、寮、馬場、園芸科の実習場、教室、正門から本館へ続く並木道、放牧地、遠く見える雪をかぶった山の景色、先生方の管理室、北里大学獣医学部など1頭の馬に関係する場面が続く。
 派手な演出もなく、このまま終わってしまうのかと思った時、主人公とも言える牝馬「コスモ」が最後から2番目のシーンで馬術競技大会に出る。馬術部員の仲間や家族や顧問の先生や先輩が声援を送る。一旦はあきらめていた「コスモ」が意を決したように障害を跳び越えようと空に向かって跳躍した瞬間、画面は卒業式に変わる。教えてくれた。この映画はできたら農業高校で、少し寒いくらいの体育館で観るのが最もふさわしい。その上、農業科学科、園芸科学科、畜産科学科、農業土木科、食品科学科の600名近い全校生徒と一緒にその体育館で、この映画を観ることができたことがとてもうれしかった。


清水宗治の城下町、備中高松。

今から432年前の天正10年6月4日(1582年6月23日)、羽柴(豊臣)秀吉(1537〜1598)による備中高松城の「水攻め」があった。今年、この「水攻め」を提案したとされる軍師・黒田官兵衛の生涯を描いたNHKの大河ドラマの放送がスタートしたこともあって、本校の所在地である備中高松も注目を集めている。しかし、私たちからすれば、自らの命と引き換えに城兵5千人を助け、さらに毛利氏の安泰を条件に講話を成立させた備中高松城・城主清水宗治(1537〜1582)に注目して欲しい。いくつかの資料から、この時、清水宗治45歳、羽柴秀吉も45歳だった。同じ年というのは偶然だと思うが、秀吉がその後天下統一を果たすことを考えると、一見対象的な結末のようであるが、後世に名を残している点では一致している。ドラマは始まって約半年たつが、もしかしたら私たちの町が登場するかも知れない。
 清水宗治は、芸術家・文学者でもなく、科学者・宇宙飛行士でもなく、医者でもなく、実業家でもなく、冒険家でも、学者でもない。各地に戦いを制して、領地や天下をとった武将は多いだろうが、宗治の心を持つ武将は二人と出ていない。少なくても432年間、この国にも、この地球上にも。
 浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
 これは清水宗治の辞世の句である。そして、清水宗治は郷土の偉人である。



2020年オリンピック・パラリンピック東京開催決定

 「最終聖火ランナー坂井義則君。19歳」
 テレビのアナウンサーの誇らしい言葉は今でもはっきり覚えている。1964年(昭和39年)10月10日。その日は土曜日だった。10月10日は日本で最も晴れの確率が高い日ということでその日に決まった。そして、その日は2年後の昭和41年から体育の日(注1)という名の祝日になった。
さて、その日とは東京オリンピックの開会式の日のことだ。当時小学4年生だった私だが、走る時はアベベの真似を、鉄棒は苦手だったが、着地だけは遠藤幸雄のように足を揃え、いつも決まっていた。強くもないのに町の柔道少年団に所属していた。
 話は元に戻るが坂井氏は、1945年(昭和20年)8月6日に広島で生まれた元陸上競技選手。東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。戦後日本の発展の象徴ということでもあった。(ウィキペディア参照)。
 そして、2013年9月8日、東京が、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地に決まった。テレビや新聞、ありとあらゆるメディアが、その決定の快挙を報せる。私も、同じ気持ちなのだが、どうしてもしっくりこない。私の気持ちをどのように表現したらいいのかわからなかった。
 ところが、日本中が歓喜でわき上がった日の二日後、ある新聞の、ある人物のインタビュー記事にそれを見つけた。以下はその一部であるが、引用する。
 「私は、広島原爆投下の日に生まれた陸上選手坂井義則氏が最終聖火ランナーを務める姿に感動した。−中略−。私は、若い時から、日本人の精神的な強さに教えられてきた。私は、今、東日本大震災から立ち直ろうと努力する被災者の姿に尊敬の念を感じている。私は、原発の汚染水の問題なども、日本人は解決する力があると信じている。」
 インタビューを受けたのはベラ、チャスラフフスカさん(注2)71歳、チェコスロバキア、プラハ出身の元体操選手。9月10日付け読売新聞1964からのエールより

追記 7年後のその日が開会式と同時に、東日本大震災で被災された方々が復興を実感する日であって欲しい。
注1;体育の日は、2000年(平成12年)より10月の第2月曜日となっている。
注2;ベラ・チャフラフフスカ;1964年の東京オリンピックで人気選手となる。平均台、跳馬と個人総合の金メダルに加え、団体でも銀メダルを手にした。優美な演技は日本において「オリンピックの名花」「体操の名花」と讃えられた。

 
平成25年4月15日号
伊原木隆太岡山県知事来校

 本校の百年史(平成11年発行)の中の言葉を借りれば、今年の4月9日、「その日は、本校の歴史の中で最も感激に満ち溢れた日」になった。当日は本校の第115回入学式で、もちろん新入生を迎えた喜びが先にあるが、その上に、岡山県知事伊原木隆太氏が来校された。県立高校でこれに優る光栄はない。知事は就任以来、テレビや新聞に登場しない日はない方であるが、まだ四十歳代の知事はエネルギッシュで生き活きとされていた。岡山県の為に働くことが本当に楽しいとも力を込めておっしゃられていた。
 今はこう言えるのだが、当日の朝、私はさすがに緊張した。式の始まる十数分前に学校に到着され校長室にお通しして、お話をしたが話題が豊富で、後から後から泉のように湧き出て来る感じであった。ずいぶんお話したような気がしたが、どう考えてもその時間は数分しかなかった。
 入学式では、「これまで日本の農業は空腹を満たすために、食料を生産してきたかも知れない。が、しかし、これからはそのことも大切だが人々の心と体の健康を満たす農業が必要だ」というような趣旨の祝辞をいただいた。
 私もこれからの日本の農業についてどういう方向性が考えられるか漠然とは考えていたが、これほどわかりやすい言葉でかつ、これまでの農業の総括から、これからの農業の展望を見事に示した表現は思いつかなかった。本校滞在は1時間ほどであったが、また次の会場へと向かって行かれた。行く先々で力強く夢を語っていらっしゃるのだろうと思った。
 さて、百年史の中の「その日」とは、昭和5年11月16日の「陸軍特別大演習」の時に、本校に天皇陛下が来校され、当時、高松農業高校で高松合戦史研究の第一人者であった高田馬治教諭が御前講演をされた日のことである。その日は、岡山県の最高責任者として第18代岡山県知事香坂昌康氏も、同席されたと記録に残っている。実は伊原木知事も、偶然だと思うが、戦後知事が公選となってから第18代の岡山県知事になる。後日、新入生が集まっているところで、一人の生徒に知事さんのお話で心に残っていることは何かと聞いてみた。すると、その女生徒はこう答えた。私達に「しっかり勉強して、農業で日本を救ってください!とおっしゃられたというように感じました。」というのです。素晴らしい。入学したばかりの15歳の高校生に知事の言葉は間違いなく届いていた。「入学式に伊原木知事が来てくれた。」その日は、本校の歴史の中で最高級の感激に満ち溢れた日だったと私は校史に記録した。


平成24年8月2日号
「宇宙・人・夢をつなぐ」

これは、今年の5月に東京であった全国校長会の講演のテーマだ。講師は元・宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙飛行士の山崎直子さん。1970年生まれで、米メリーランド大学卒業。1996年JAXA入社。1999年国際宇宙飛行士に選ばれる。11年間の訓練の末、2010年ディスカバリーで宇宙へ。2011年8月JAXA退職。2012年4月から立命館大学客員教授。さて、講演の中で小学生の長女がいるとおっしゃられていた。最近、その彼女に将来何になりたいかと聞いたら、マンガ家になりたいと言ったという。そして、その彼女が山崎さんに聞いたのだそうだ。「ママは大きくなったら何になるの?」この答えに、山崎さんは「そうだ、私もまだ夢を持ってないといけないんだ」と思ったそうである。私は、その話を聞いて手元のノートに夢・夢・夢・夢・夢・夢・夢と7回書いた。そう書かずにはいられなかった。山崎さんの説明では、これまで宇宙に行った人は517人。そのうち1割が女性。山崎さんは54番目の女性。年間10人前後の人が宇宙に行く。山崎さんは日本で8番目の宇宙飛行士。さらに、宇宙飛行士に求められるもの。自己管理能力、リーダーシップ、フォロワーシップ(支える力)、状況把握能力。もう想像がつかない。講演の間中、この人は一体どんな人だろうと思わずにはいられなかった。そして、講演の最後に「次世代を育てることが今の私の仕事。」と締めくくられた。2000人を越える参加者の拍手がいつまでも鳴りやまない中、深く一礼をされて舞台の袖に消えた。
 30分後、私は、会場から歩いて10分ぐらいの地下鉄の駅の電車の中にいた。もう間もなく発車するかなと思った時である。つり革につかまりホームの方を見ていたら、左の方から走ってきた一人の女性が「間に合った」という感じで同じ車両に乗ってきた。ふと見ると、どう見ても30分前に拍手で送ったその人に似ている。まさか?すぐそばにいた同県の二人の校長先生に、小声で合図すると、入り口ドアに一番近いところにいた友人の校長先生が「山崎直子さんですか?」と聞いた。すると彼女はふっと微笑み、「先ほどの講演はとても素晴らしい講演でした」と続けた言葉に深くお辞儀をされ応えてくれた。周囲を気遣ってのことだろうが言葉はなかった。しかし、その所作は非常にシンプルであったが美しかった。ほどなく、電車が発車し、乗り変え駅に着くと山崎さんも降りられた。降り際に、私たちにもう一度会釈をされ、向かいのホームで待っていた電車の中に消えた。
 ここからは、想像だが、「ただいま。遅くなってゴメンネ。すぐ夜ごはんつくるからね」と娘さんに言いながらキッチンに向かうのだろうかと思ったら、なぜ「宇宙・人・夢をつなぐ」というタイトルにしたのかわかったような気がした。


平成24年4月9日号

能(農)ある鷹(高)は?
 
今年の干支は何だったかなぁと思うくらい早くも1年の4分の1が過ぎてしまいました。東大の秋入学の検討は大きな波紋を投げかけていますが、高等学校の始まりは今は4月です。
 今年は辰年。中国では、辰年は、重要で幸運がもたらされる年と信じられているそうです。また、今年はオリンピックイヤーでもあります。辰は伝説上の動物ですが、幸運と強烈なパワーのシンボルとされるそうです。時刻で辰の刻というと午前8時、太陽がもっとも勢いのある様子を言います。ところで、皆さん農業の農ってどういう漢字でしょうか?そうです。
 辰の上に曲という漢字が乗っているんです。もともと農っていう字は、林を表す曲と、貝を表す辰の二つの漢字から成り立っている会意文字。少し乱暴な説明をすると、農という漢字は林を焼いて、貝で耕す、転じて農業を表しているということになります。何れにしても、校名に「辰」が含まれているのは、うれしいことです。何か体の中に力が湧いてくる気がします。「勢いよく、ふるいたつように」、それぞれに夢や希望を持って、良い年度にしたいものです。さて、能(農)ある鷹(高)は?どうしましょう。そうですね。これまた強引ですが、能(農)ある鷹(高)は?積め!画すと続けてはどうでしょう。積め!は「とっておく」、画す!は「計画する」っていうことにして、計画を立て、努力を積み重ねようということにしたいと思います。
 東日本大震災から1年と1ヶ月。今、日本で起きていることに対して、被災された方々とともに、私達の希望もその次に叶えられることを、一緒に祈りながら、良い年度になりますように!願わずにはいられません。


平成23年10月25日号
 我々は肥料桶も担ぐが、ピアノも弾ける人でなければならない

 宮澤賢治の作品中に「生徒諸君に寄せる」という詩がある。その中の一部を筆者の独断で抜き出して紹介する。

 「中等学校生徒諸君
  諸君はこの颯爽たる
  諸君の未来圏から吹いて来る
  透明な清潔な風を感じないのか
  それは一つの送られた光線であり
  決せられた南の風である
  ・・・・・・・
  むしろ諸君よ
  更にあらたな正しい時代をつくれ
  ・・・・・・・
  衝動のようにさえ行われる
  すべての農業労働を
  冷く透明な解析によって
  その藍いろの影といっしょに
  舞踊の範囲にまで高めよ」

 私は、国語の素養があるわけでもなく、宮澤賢治の研究者でもない。従って、この詩の深い意味も、作者の心情や時代背景についても何も知らない。ただ、いい音楽だなという程度のファンの域を超えない。
 しかし、農業高校の教師になった頃、この詩に惹かれた。
 同じ詩の中に「この四ヶ年が わたくしにどんなに楽しかったか わたくしは毎日を 鳥のやうに教室でうたってくらした 誓って云ふが わたくしはこの仕事で 疲れをおぼえたことはない」という一節がある。
 その頃、私は多忙を極めていたが、こう在りたいという気持ちから恩師の言葉のように、いつかはこう言える教師になりたいと思っていた。
 そして、今日の標題の言葉だが、これもその頃、確か京都の大学の農学部の先生が、新聞の投稿欄で言っていた言葉だ。こんなに忘れられないのなら、もっと正確に覚えておくとか、記録しておけば良かったと猛省している。
 だから、実はいい曲だなあという程度で、実際のところ標題の言葉通りだったのかどうかも自信がないし、投稿の内容も全く覚えていない。
 ただ、先程紹介した宮澤賢治の詩の最後の一節「衝動のようにさえ行われるすべての農業労働を冷く透明な解析によってその藍いろの影といっしょに舞踊の範囲にまで高めよ」と同じ意味ではないかと、もう35年近くになるがこの言葉が頭から離れない。


平成23年6月15日号

 9999の力

 「男子生徒は必ずあいさつしてくれる。女子生徒は深々とお辞儀をしてくれる。」
 これは、去る5月11日、高松交番連絡協議会の席上で、「最近の高農生は?」という話題になった時の地域の町内会長さんの言葉である。

 自分が褒められたようでとても嬉しかった。
 本校は、今年の4月から、全教職員が、「気持ちの良いあいさつをしよう!」と、取り組んでいる。そもそも、本校では、数年前から生徒会は「マナーアップ高農」に取り組んでいるのだが、その成果の一つかも知れない。
 さて、先日書店で、「機長の集中術」という本を見つけた。日本航空の機長を42年間、60歳で定年後も、嘱託として63歳まで機長を務めた小林宏之という人が書いた本だ。その本の中に、集中力には4つの眼が必要と書いてあった。一つ目は虫の眼。二つ目は鳥の眼。三つ目は魚の眼。四つ目は心の眼。虫の眼は集中力の深さ。鳥の眼は集中力の幅を、集中力を持続させる力、時間を意識した集中力。魚の眼は流れや変化に対応する力。そして、心の眼は本質・重要度を見極める力だと書いてあった。最初から最後まで集中力を切らさないように読んだ。が、その最後の最後に、小林氏は、雲の上の職場で最も必要だったのは、コミュニケーションだったと言っている。そして、それは、「あいさつ」と「ありがとう」という感謝の気持ちから生まれるのだと結んでいた。
 飛行時間数18,500時間、地球800周大空で仕事をしたキャプテンの言葉だけに説得力があると思った。
 本校は、今年は生徒も私達教職員も気持ち良いあいさつをすることに決めた。あいさつは万能ではないかも知れない。しかし、「1」を引いても「9999の力」があるように思えてならないのである。



平成22年12月20日号

SCHOOL

「日本には素晴らしい文字がある。それは、文字の真ん中に心がある字だ。」とある外国人記者のコラムで読んだことがある。その文字とは「愛」という字である。
 そのことに刺激を受けて、漢字では、なかなか思いつかなかったのであるが身近な英語の単語に「あること」を発見した。それは、SCHOOL。もちろん学校という意味だが、よく見ると、SとLの間にCHOOが収まっている。人生には幾つかの「CH」があるという「ある会議」で聞いた話もヒントになった。例えば、Pinch、しかし、Change、そしてChanceに変える。そのためにはChooseChallengeすることが重要だ。その中からChapionも生まれる。さらに、SStartLLucky。間に0が二つ、これを、つなぐと∞(無限)になる。
 こうしてSCHOOLという言葉を始めから眺めて見ると、「さぁ始めよう。例えピンチに遭遇したとしても何か変革する勇気を持とう。そのうち好機もあるぞ。選択と挑戦。努力は無限!」とでも言っているようだ。
 SCHOOLにはもしかするとそういった意味があるのではないかと思ったのである。
 外国にも素晴らしい言葉がある。
 そして、日本には素晴らしい学校がある。
                      注;平成22年6月18日(金)岡山県PTA連合会総会



平成22年7月30日号

 本校生徒に望むこと

 私は、本校の生徒にどのような生徒に育って欲しいかと常々考えておりました。そんな時、全く偶然ですが、今年の5月、全国の校長会の講演で聞いた話を御紹介します。
 それは、東京ディズニーランドのあるレストランでの話だということです。若い夫婦が来店した。注文を尋ねると自分たちのメニューとは別にお子様ランチを注文された。ほどなく料理ができてテーブルに運んだ。そのウェイトレスは、このお子様ランチはどなたが食べられるんですか?と聞いた。すると、「今日は亡くなった子どもの誕生日で、その子が大好きだった遊園地だったのでここに来たんです。」と若い夫婦が言ったというんですね。そうすると、「そうですかって」と言って、そのウェイトレスさんが、「よかったら、これを使ってください」と、子供用の椅子を持ってきてくれたというのです。
 講師の本氏はそういうマニュアルにはないが、自分で考えて行動できるこのウェイトレスの女性の判断や行動が素晴らしいと言っておられました。
 この話を聞いて、私はすぐ本校生徒のことを思い出しました。本校生徒は、自然を相手に、命を相手に思い通りにならない植物や動物を育てています。だからこそ、あまり成功体験を持っていないかも知れませんが、いい勉強していると思っています。就職しても進学してもこのウェイトレスの女性のようなそんな素敵な職業人・社会人になって欲しいと思いました。
    (※講師;株式会社「ぶどうの木」代表取締役社長 
  氏)


平成22年4月23日号

誇 り

本校は明治32年の創立です。爾来112年、多くの若者がこの町の、この学校で三年間という青春時代を過ごし、卒業していった。その数、1万8千名余。そして、今年もまた二百名の新入生を迎えた。この町がまた、彼ら、彼女らにとって、本校とともに忘れられない青春時代を過ごした町となるようになれば大変うれしいと思う。政令指定都市になって、上に北区と付くが岡山市内の中で、校名と地名が一致し、しかも、明治の時代から今日まで、これほど地域の方々に親しまれている高等学校はないだろう。

私は、「本校が、この地域で文化の華香り、スポーツに躍動し、この地域の最高学府として誇りある学舎と言えるようになる(言われるようになる)ことを目指している。取り分け備中高松駅界隈の本校生徒のマナーは私の誇りとするところです。」と入学式で、新入生や保護者の方々に言った。在校生にはいつも言っていることであるが。

今年から、本校のICT教育推進担当でもある三宅指導教諭(園芸科学科長)の薦めで不定期になると思うが『校長室だより』を出すことにした。それは、本校のWebページを見てくださる方に何らかの情報をお届けしたいと言う思いからである。ということで、皆さん。本校生徒をどうぞよろしくお願いいたします。そして、どうか本校をよく見ていただきたい。多くの方々に知ってもらいたい。そう思う気持ちでいっぱいです。